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東海大冒険

多分エッセイ的な雑記

STAND BY ME ドラえもんを見逃した

ドラえもん

 

見逃した。

 

www.tv-asahi.co.jp

30分くらい寝るつもりが起きたら3時になっていた。やっぱりちょっとだけ寝るというのは高度な技なんだなあ。

映画自体は2年半前に劇場で観ているしDVDも買ったので内容は知っている。折角なので放送記念に当時の自分の思ったことを備忘録的に。

内容自体は漫画を読んでる人にとっては既視感があったはずである。「STAND BY ME ドラえもん」は原作にある7つの話を繋げたものなのだ。どの話を使っているのかはwikiを参照されたし。ほとんど前情報を入れず観に行ったので一体どういうストーリーなんだろうと思っていたのだが、なーるほどそういう感じか、また良い感じに繋げているな、と。時系列的には「さようならドラえもん」「帰ってきたドラえもん」は単行本6巻と7巻にあり、「未来の国からはるばると」以外のものよりも早い。子供の頃6巻が最終回みたいな感じに終わり、本屋には7巻から45巻まであるドラえもんが並べられているのを見ているので「?」と思った記憶がある。単行本ではあまりにも唐突だったドラえもんとの別れの間にどんなストーリーがあったのか、一つの説をこの映画は示してくれたのだと思う。

個人的に1番印象に残ったのは「雪山のロマンス」の中でのオリジナルストーリー。通常の映画ドラえもんにも大長編ドラえもんにはないオリジナリティがたまにあるように(夢幻三剣士のラストとか)こちらにも原作にない話があるといいなとか思っていたけど、今回は割と深いところを突っ込んできたなと感じた。それは遭難したオリジナルのび太と未来しずかを未来のび太が助けた後、のび太同士の会話の中でオリジナルのび太ドラえもんに会ってみる?と聞くが未来のび太はいや、いいよと断るたった数秒のシーンである。

今まで未来のび太ドラえもんについて話すことは無かったと思う。(もしかしたら原作でのび太が最初に未来に行ったときに未来のび太が話していたかもしれない、だったら申し訳ない)原作の中でものび太は何度か未来に行っているし、同時上映ではあるが単独の映画としての「のび太の結婚前夜」もある。未来の世界の中でドラえもんは出てこないし、未来のび太も他の誰もドラえもんについて触れていない。まるでドラえもんなんて最初からいなかったんだと言わんばかりの世界。そこで観ている側は未来の世界にもうドラえもんはいないんだ、のび太ドラえもん無しでも十分にやっていけるくらい成長したんだ、と勝手に思う。それが今回(多分)初めて本人の口からもうドラえもんには会わないでおくよという発言が出てドラえもんとの決別を宣言した。そこに改めてのび太の成長の跡、そしてドラえもんというタイトルを冠している故の寂しさを感じたのである。

今回はドラえもんの鈴に猫集め以外の機能が付き、原作にはない嫌々のび太の世話をするという設定がなされている。のび太の成長と共に変化するドラえもんの心情。涙を流して別れを惜しむドラえもん。そして再会。こうした2人の友情を描きながらも、行きつく先にドラえもんとの永遠の別れを示唆しているのが切ない所である。未来の世界でドラえもんはどうしているのだろう。耳が無かったりねじが1本抜けていたりと不完全であったからその頃にはもうロボットとしては寿命を迎えていたのかもしれない。のび太の未来を変えるという役目を終え、またどこかの家で子守りロボットをやっているのかもしれない。2人の本当の別れとはどのようなものだったのか。それは「さようならドラえもん」からだけでは分かりようもない。

自分もいつかドラえもんに全く興味が湧かなくなる時がくるのだろうか、それはドラえもん無しでもやっていけるくらいに成長したということなのだろうか。それが果たして自分にとって良いことなのか。モラトリアムの真っ只中で、秦基博の主題歌がそんなことを考える気持ちに余計に拍車をかけるのであった。

 

P.S.ここまで書いてそもそもドラえもんってセワシの元にいたロボットだからセワシの所に帰ったんじゃないかという説が浮上。そうなると上の考察は全てバカみたいになっちゃうけどまぁ当時思ったことだから許して下さい。