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東海大冒険

多分エッセイ的な雑記

ドラえもんへの思い入れ

ドラえもん

映画ドラえもんは1975年に「のび太の恐竜」が放映されてから今年の「新・日本誕生」で36作目(STAND BY MEは除く)であり、来春の37作目となる新作の情報も既に発表されている。これまでの傾向通り2年ぶりのオリジナル作品である。

doraeiga.com

南極というのはドラ映画において初めての舞台である(はず)。なのでストーリーについても想像がしにくいのだが、最近はオリジナル作品に関してケチをつけたがる癖がついてしまった。声優陣が世代交代してからずっとそんな感じである。ストーリー展開が急すぎるとか、ゲストキャラの性格が急に変わり過ぎじゃねとか、しずかちゃん色っぽくなりすぎじゃねとか何とか。

断っておくと私は別に今のドラえもんを非難しているわけでもなんでもない。今でもドラ映画は毎年見に行っているしアニメも視る。平成一桁生まれの私はドラえもんに関してバリバリの大山のぶ代世代であるが、リニューアル当初当然抱いていた違和感も10年の歳月が薄れさせていった。単に歳を重ねるごとに子供向けならではの超展開的なところが気になって来ているだけなのだろう。

私の場合丁度声優陣交替のタイミングで小学校から中学校へ進級した。私とドラえもんの節目のリンクが余計に旧ドラ、新ドラの比較を生んでいるのだと思う。小学生の時は純粋にただ見ているだけで楽しかった。中学生になり、少し身の回りの事に対して斜に構えて見るようにもなって、所謂中二病てヤツだろうか。その時やっていたのが新ドラだったというだけだ。よく考えればリニューアル後のオリジナル作品のストーリーがおかしいといっても、それ以前でも藤子・F・不二雄本人が執筆していたのはねじ巻き都市冒険記までなのだから南海大冒険からワンニャン時空伝まで何も考えず観ていた私にはその理屈では矛盾がある。

文章がまとまらなくなってきたが、結局当時はリニューアルすること自体に疑問を持っていたんだという結論に至ったら本日旧スネ夫役の肝付兼太氏死去のニュース。ジャイアン出木杉はもういない。のび太しずかちゃんだっていつそうなろうがおかしくない。そしてドラえもんももう...。どんどんと私がハマっていたドラえもんが遠い昔のモノになっていくのを感じる。もう高校生くらいならドラえもんといえば水田わさびとなっているかもしれない。それは私にとっては寂しい事実であるが、ドラえもんが2112年まで続いていくためには次に進むサイクルとして必要なことであり歓迎すべきことなのだ。

成長してただ見るだけだったお気に入りコンテンツに対しても色々考えるようになって今こうやってわざわざブログで思想を吐き出している。三つ子の魂百までとはいうが、私はこれからいくら弱くなっても巨人戦を見ることをやめないように、いくらストーリーに突っ込もうがドラえもんを見ることをやめないだろう。ていうかそうありたいものだ。